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イギリスの古楽誌-EARLY MUSIC today-で鍵盤の王と評された
マハン・エスファハニ 日本ツアー2013 オフィシャル・サイト
2013年6月2日(日)15:00 名古屋・電気文化会館
2013年6月4日(火)19:00 東京文化会館小ホール
NEWS
CONCERT INFORMATION
[2013年日本ツアー公演プログラム]
バード William Byrd (c. 1540-1623) |
解き明かしたまえ主よ(I, II, III) Clarifica me, Pater (I, II, III) ドレミファソラ Ut Re Mi Fa Sol La ジョン、今キスしに来て John Come Kisse Me Now 第5パヴァーヌと第5パヴァーヌへのガリアルド The Fifte Pavian and The Galliard to the Fifte Pavian |
バード William Byrd |
「戦争」への行進曲 The Marche Before the Battell ファンシー (マイ・レディ・ネヴェル曲集第41曲) Fancie (Nevell 41) 第1パヴァーヌと第1パヴァーヌへのガリアルド The Firste Pavian and The Galliarde to the Firste Pavian |
バード William Byrd |
カリーノ・カスチュラメ Callino Casturame ファンタジア Fantasia (MB 13) ウォルシンガムへ Have with Yow to Walsingame |
J.S.バッハ J. S. Bach (1685-1750) |
バッハ「音楽の捧げもの」BWV1079より from Das Musikalische Opfer, BWV 1079 3声のリチェルカーレ Ricercar à 3 6声のリチェルカーレ Ricercar à 6 2声のカノン:昇り行く調が如く王の栄光高まらんことを Canon à 2, per tonos: ascendente modulatione ascendat Gloria Regis |
リゲティ György Ligeti (1923-2006) |
ハンガリー風パッサカリア(1978) Passacaglia ungharese (1978) コンティヌウム(1968) Continuum (1968) ハンガリーのロック(1978) Hungarian Rock (1978) |
※ 都合により公演内容の一部が変更になる場合がございます。また、未就学児の入場はご遠慮下さい。あらかじめご了承ください。
PROFILE
「非凡なる才能」~タイムズ紙(英)
「繊細にして躍動的」 ~アーリーミュージック・トゥデイ(英)
「ついにチェンバロが日の目を見た―見事な演奏だ」 ~デイリー・テレグラフ(英)
マハン・エスファハニ(チェンバロ)
Mahan Esfahani:Cembalo
TICKET INFORMATION
■当日券情報
当日券は、東京文化会館小ホールで18時から発売します。
全席指定4,000円
MEDIA
■YouTube
ESSAY & INTERVIEW
■ インタビュー
マハン・エスファハニ Q&A
インタビュアー:Fran Wilson
http://www.crosseyedpianist.com
翻訳:後藤菜穂子
――チェンバロを選んだきっかけ、またプロの演奏家になろうと思ったきっかけ、そして影響を受けた人物について教えてください。
E:チェンバロ弾きであれば、誰もがワンダ・ランドフスカ(1879-1959)の影響を否定できないと思います。ランドフスカは、チェンバロを初めて現代のコンサート文化に定着させた人物ですが、率直なところ、彼女が一生懸命開拓した聴衆の善意をむしろのちの世代が潰してしまったのではないかと感じます。ランドフスカの熟達、自信、権威、ドラマ、そして弦をはじくとはどういうことかについての彼女の理解など――私が今あるのは彼女のおかげです。ただ、チェンバロを本格的に取り上げてプロの演奏家になろうと思った背景には、ロマン派のレパートリーが大好きだった両親に対する思春期の反抗心もあったとは思いますが…
――エスファハニさんの演奏にもっとも大きな影響を与えた人物は?
E:僕のソリストとしての演奏にもっとも影響を与えたのは、子供の頃に聴いて育った多くのオーケストラのレコーディングだと思います。オットー・クレンペラーのブルックナーやベートーヴェンの演奏は、紋切り型の表現に頼ることなく、作品の核心に迫ります。またニコラウス・アーノンクールは、歴史に忠実でありながらも、同時に芸術家としての表現の自由と美的な信念を失わないことが可能だということを示してくれました。
――演奏家としてもっとも苦労されたことはなんでしょうか。
E:現代のクラシック音楽界がチェンバロをメインストリームの楽器として見てくれないこともその一つですが、それ以上に私にとっていちばん大きな壁は、いわゆる古楽演奏の世界におけるドグマティズム、知識のなさ、人目を引くやり方、変化を受け入れない体質、真の音楽よりも人気スターを優遇する傾向です。
――これまでのご自分の演奏でもっとも満足のいったものは?
E:満足というのが果たして適切な言葉かどうかわかりませんが、お客さんが僕のチェンバロが歌っているように聴こえる、と言ってくれた時がいちばん幸せです。指が速く動くとか、効果に富んだ演奏とかではなく、楽器が歌っているように、そしてしゃべっているように聞かせることができれば本望です。
――好きな演奏会場はありますか?
E:作曲家の魂が降臨し、それが変化して、私たちの耳、脳、心、そしてうまくいけば私の指に宿ってくれる場所、それが私にとって最高の会場です。
――弾くのが好きな曲、聴くのが好きな曲は?
E:弾くのに関しては、その時に弾いているものすべてです。聴くことに関しては、バッハのカンタータか、ハイドンの「天地創造」なら言うことがありません。最近では、エルガーのヴァイオリンの小品「夕べの歌」を繰り返し聴いていました。いったいどうやったらこんな美しいメロディーを書けるのでしょうか。あと、実は英国の作曲家のクウィルターやサリヴァンらのサロン音楽もけっこう好きなんです。それから、最近聴いた中ではフランクのピアノ五重奏曲ですね。彼は天才です!
――好きな演奏家は?
E:スヴャトスラフ・リヒテルです。ピアノを弾く姿はまるで熊のようで、つねに苦闘し、リスクを恐れず、声に出して考えている感じです。うまくいくこともあり、うまくいかないこともありますが、それでもすべての演奏が彼の天才ぶりを反映しています。また、ニコラウス・アーノンクールのやるものはすべて聴き、勉強するようにしています。
――音楽家を目指している人たちへのいちばん大事なアドバイスはなんでしょう。
E:音楽家を目指している若い人に言えるのは、とにかく音楽に専念し、自分の演奏を磨き、それによってメッセージを伝えなさい、そうすれば結果はついてくる、ということですね。若い音楽家の中には、それらしく振る舞い、パーティーに出て、芸術家を気取っている人も多いですが、そんなのは無駄です。こういう人たちは自分の音楽性に自信がないのです。もし無一文になったとしても、自分の音楽を持つことはできるのであり、そのことが何よりも大事なのです。いやそんなことはない、と言う人もたくさんいるでしょうけど、この点だけは僕を信じてください。
――目下取り組んでいるものについて教えてください。
E:バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第2番イ短調BWV1004のチェンバロ編曲があるのですが、それに取り組んでいます。これはひじょうに興味深い編曲で、バッハの息子のひとり、あるいは弟子で婿であったヨハン・クリストフ・アルトニコルの手によるものだと考えられています。それから、C.P.E.バッハのひじょうに技巧的に難しいチェンバロ協奏曲も弾き始めた練習しているところです。
■ エッセイ
チェンバロという楽器のアイデンティティを問い直すマハン・エスファハニ
前島秀国(サウンド&ヴィジュアル・ライター)
チェンバロは、よくよく考えてみると不思議な楽器だ。
18世紀初頭にバルトロメオ・クリストフォリが発明したピアノと異なり、チェンバロは、その起源自体がかなりあいまいである。
チェンバロの歴史を語る上で必ず引き合いに出されるのが、「1397年、パドヴァの法学生が『ドイツ人ヘルマン・ポール(Herman Poll)がクラヴィチェンバルム(Clavicembalum)なる楽器を発明した』と書いたのが最古の記録」とするニューグローヴ音楽辞典の記事である。ヘルマン・ポールがどんな人物だったのか、クラヴィチェンバルムがどんな楽器だったのか、それを説明した記録は一切残されていない。
ただし、ヘルマン・ポールなる人物が「クラヴィチェンバルム」という楽器名を、ハンガリーの打弦楽器ツィンバロン(Cimbalom)から発想したことは容易に推測できる。小型のバチ(ハンマー)で弦を叩いて演奏するツィンバロンはダルシマー(ハンマード・ダルシマー)とも呼ばれているが、その起源はおそらくペルシャ(イラン)の打弦楽器サントゥールだと言われている。したがって、「チェンバロ」という楽器名だけにこだわれば、チェンバロはツィンバロンを媒介にして、遠く離れたイランの楽器の存在をかすかに思い起こさせるのである(ちなみに、サントゥールが東方に伝わったものが中国の楊琴)。
だが、発音機構に注目してみると、チェンバロはプレクトラム(ピック)と呼ばれる爪で音を出す撥弦楽器であって、ツィンバロンやサントゥールのような打弦楽器ではない。
プレクトラムを用いた撥弦楽器としては、ドイツ語圏のツィターのほかに、日本の箏、トルコやイランで演奏されているカーヌーン、そしてギター型のリュート楽器が広く知られている。ことにリュート楽器の祖先である撥弦楽器ウードは、古代ペルシャに存在した楽器バルバット(Barbat)にその起源が由来するという(バルバットが東方に伝わったものが日本の琵琶)。となると、チェンバロは、弦を撥いて音を出すという発音機構に注目してみても、これまたイランの楽器の記憶に繋がっていくのだ(もうひとつ、チェンバロには鍵盤楽器という側面があるが、鍵盤という機構はドイツの水オルガンから発展した、純粋にヨーロッパ的な発明である)。
そのチェンバロという楽器を、イラン系アメリカ人のマハン・エスファハニが演奏する。むろん、彼はアメリカとイギリスで音楽教育を受けたクラシック奏者であって、イラン伝統音楽の演奏者ではない。だが、今回初来日となる彼の東京公演にあたって、敢えて東京の聴衆に突きつけてきた大胆なプログラムを見ただけで、彼がチェンバロという楽器のアイデンティティを根源から問い直そうとしていることは容易に理解できる。チェンバロ黎明期のウィリアム・バード、チェンバロ最盛期のバッハ、そして現代楽器のチェンバロの可能性を引き出したリゲティ。「ハープシコード奏者は、何年学んでもオーケストラの中で通奏低音を弾くのが関の山」という、古楽界全般の志の低さを糾弾するエスファハニは、「チェンバロ奏者とは何者か」「その音楽の核心にあるものは何か」という根本的な疑問を、我々に投げかけているのだ。
物事の本質にダイレクトに迫ろうとする彼のラディカルな姿勢は、たぶん彼自身の出自と無関係ではないのだろう。ペルシャの古代楽器の血を引くチェンバロという楽器のアイデンティティを、おそらく史上初めて登場したイラン系アメリカ人のチェンバロ奏者が問い直そうとしている。その事件性に何も興奮を感じないとしたら、その人は生涯を通じてチェンバロと無縁な存在なのかもしれない。
新時代のチェンバロ奏者、マハン・エスファハニの才能とその行方
後藤菜穂子(音楽ライター)
チェンバロ奏者、マハン・エスファハニは、古楽の世界にとどまらない大型の逸材だと思う。先日ウィグモア・ホールでのソロ・リサイタルを聴いて、改めて強くそう感じた。彼はあるインタビューにおいて尊敬する音楽家としてニコラウス・アーノンクールを挙げているが、たしかにエスファハニの演奏を聴き、また書いたり話したりしている内容を聞くと、アーノンクールと似た歴史への認識と探求心を感じる。時折、その主張が強すぎるところもアーノンクールと似ているといえよう。
もちろん大きな違いは、アーノンクールがヨーロッパ音楽の伝統の中からでてきた革新者であるのに対して、イラン出身でアメリカ育ちのエスファハニはヨーロッパの伝統に属さない存在として、アウトサイダーとして因襲にとらわれることなくヨーロッパ音楽、特にチェンバロのための音楽の歴史を検討し直した点である。伝統の中で育っていない部分を彼は膨大な量の研究で補ってきたのではないかと想像する――それは彼のプログラミングなどからも感じられる。そうはいっても、エスファハニの演奏にはけっしてドライなところはなく、深い洞察と分析力に裏打ちされつつも、作品に対する純粋な愛情に満ちている。
* * * * *
5月3日にロンドンのウィグモア・ホールで開かれたソロ・リサイタルでは、エスファハニはウィリアム・バード、J.S.バッハ、そしてジェルジ・リゲティという3人の作曲家にしぼった意欲的なプログラムを組んだ(このプログラムは6月の東京公演でも披露される)。しかも舞台には2台のチェンバロが用意され、バードとバッハは1711年製のフレンチ・モデルのコピー、リゲティの3作品は1972年製作のモダン・チェンバロで演奏された。
プログラム前半は英国のルネッサンスの作曲家ウィリアム・バードの味わい深い作品が並んだ。エスファハニの演奏前のトークによれば、バードは「チェンバロの解放者で、チェンバロの父である」という。まず初めに、18/19歳の時の《解き明かしたまえ主よ》3曲と最晩年の《ドレミファソラ》を対置することで、この作曲家の作風がいかに発展したかを示し、さらに『フィッツウィリアム・ヴァージナル曲集』でおなじみの陽気な変奏曲《ジョンが今キスしに来て》から壮大なイ短調の《ファンタジア》までバラエティに富んだセレクションで、バードの音楽の奥の深さを十分に堪能できた。なかでも《第一パヴァーヌとガリアルド》では、憂いに富んだパヴァンのしっとりした魅力とより軽快なガリアルドのコントラストを鮮やかに描き出し、また民謡《ウォルシンガム》に基づいた22の変奏曲ではバードの創造性に感心すると同時に、エスファハニの見事なテクニックと色彩感に引き込まれた。
プログラム後半はJ.S.バッハの作品で始まったが、エスファハニが選んだのは、晩年の傑作《音楽の捧げもの》からの3声のリチェルカーレ、6声のリチェルカーレ、そして2声のカノン「昇り行く調が如く王の栄光高まらんことを」という、バッハの中でももっとも厳格かつ複雑な書法で書かれた3作品である。これは、エスファハニのバッハに対する知的な挑戦だと言ってもよいだろう。実際、6声のリチェルカーレをこれだけ緻密かつクリアに、しかも情緒をもって演奏できるのはやはり並大抵の才能ではない。また2声のカノンにおいても、バッハの作曲技法上の凝った工夫を浮き彫りにした、力のこもった演奏を聴かせた。
最近、エスファハニがしばしば主張しているのは、チェンバロを古楽の世界だけにとどめておきたくない、ということだ。すなわち、チェンバロが20世紀に再びソロ楽器としての地位を得たのはワンダ・ランドフスカのおかげなのに、ピリオド楽器運動が盛んになって以来、彼女が用いたようないわゆるモダン・チェンバロの存在が否定され、また20世紀に書かれたさまざまなチェンバロ音楽が忘れ去られていることを憂慮している。
そうした作品に光を当てるべく、このリサイタルではリゲティがチェンバロ独奏のために書いた3曲を、いわゆるモダン・チェンバロ(7本のペダル付)で演奏した。《ハンガリー風パッサカリア》(1978年)はバロックの形式に基づいているので、バッハから一気に200年以上時代が超えても、意外に違和感はない。《コンティヌウム》(1968年)は逆にかなり前衛的な作風で、短い音型をものすごい速さで繰り返すことによって、まるで「連続した音=コンティヌウム」に聴こえることを実験した曲である。エスファハニは極度の集中力をもってこの曲を弾き切り、モダン・チェンバロのパワフルな音も手伝って、異次元のサウンドワールドを体験することができた。最後は、3作品の中でもポピュラーな《ハンガリアン・ロック》。ロック・ミュージックの和音進行に基づいたシャコンヌであり、エスファハニは活き活きとしたとしたリズム感でダイナミックな演奏を展開、ふだんはおとなしいウィグモアの聴衆を熱狂させた。
■ インタビュー
《Early Music today》 2011年11月-2012月2月号 Volume 20 No.1
鍵盤の王 ~ 止められないマハン・エスファハニの才能
「Making Wave」
インタビュアー:アンドリュー・スチュワート
(翻訳:前島秀国/サウンド&ヴィジュアル・ライター)
マハン・エスファハニの美徳のひとつは、その率直さだ。イラン系アメリカ人でチェンバロ/オルガン奏者の彼は、まだ20代という若さながら、みずみずしくも誠実な音楽性で批評家の絶賛を博してきた。インタビューなどで歯に衣を着せないストレートな発言も、評価が高い。音楽、それに音楽業界に関する彼の発言は、必然的に保守的な古楽界に対する批判となる。だが、彼の意図は、センセーションを巻き起こすことでもないし、思慮を欠いた軽口を叩くことでもない。古楽全般に対する発言、そして自身の経歴に関する説明は、エスファハニが明晰な思考と豊富な知識の持ち主であることを示している。
エスファハニは腰掛けると、プロモーションや宣伝活動のトレンドに押し流されやすい、芸術の自立性について語り始めた。現在、彼はボルレッティ・ブイトーニ財団とBBCラジオ3ニュー・ジェネレーション・アーティスト・プログラムの支援を受けながら、ソロ活動で優れた成果を収めてきた。しかも彼は、巧妙な宣伝にも頼らず、信念も犠牲にせず、古楽界が抱える問題点も遠慮なく指摘してきた。音楽を最優先に考えるアプローチを貫いた結果、エスファハニは昨年2011年にBBCプロムスでデビューを飾った。チェンバロ奏者がプロムスでソロリサイタルを開いたのは、プロムス116年の歴史の中でエスファハニが最初である。エスファハニは(プロムスのディレクター)ロジャー・ライトと直接電話で面会の日時を決め、自らライトのもとに足を運んで自分のアイディアを伝えると、カドガン・ホールのプロムス室内楽シリーズで《ゴルトベルク変奏曲》演奏の機会が与えられた(訳注:2011年7月18日)。
「プロムスのディレクターに直接電話するとは、ずいぶん大胆ですね」と私が伝えると、エスファハニは笑顔を見せた。彼自身は、ライトが隙を突かれたのではないかと考えているようだ。「おそらくライトは、どうして私がマネージャーを使わないのか、不思議に思ったのでしょう。でも、彼に直接アプローチしたのが、結果としてよかったんです」。
3年前、エスファハニがイギリスに降り立った時は、まだ大学を出たての音楽家のひとりに過ぎなかった。見事な学術論文と並々ならぬ決意を携えてはいたが、イギリスで教育を受けた同期の音楽家に知り合いがいなかった。「3年半前まで、私にはソリストとしての活動歴が全くありませんでした。18歳の時に自分の目標をきかれたら、素晴らしいバッハの前奏曲とフーガを学んだり、アドルノを読解することだと答えたでしょうね」。10代にして、アドルノを読むとは! 大学のルームメートが秀才だったからだ、とエスファハニは説明する。「ソリストとして活動し始めると、10代の頃とは違う目標を目指すようになりました。必ずしも、良い目標に変わったとは限りません。つまり、リサイタルを開いてギャラをもらうとか、誰某によい印象をあたえるといった目標です。でも、それが誤りで、自分のためにならないことだと気づきました。ここ最近の数年間は、10代後半に決めた目標に戻りました」。
(2013年5月2日アップ)
チェンバロのソリストとして生き残るためには、時には目標を変えることも必要だろう。なぜなら、熱心な古楽ファンにもチケットが売れにくい、チェンバロという楽器のリサイタルに集客するためには、疑心暗鬼のプロモーターを説得しなくてはいけないからだ。「芸術的な目標よりも、経歴を優先させる演奏家がいるのは事実です。初めに音楽があり、その後に経歴というお飾りがついてくるのだと気づくためには、自分自身を大切にしなくてはいけません」。ただし、経歴のお飾りは運命に左右されやすいと、彼は付け加える。エスファハニはリンゼイ・ケンプからBBCラジオ3のオーディションの誘いを受け、BBCヤング・ジェネレーション・アーティストに選ばれた当時のことを、次のように回想する。ケンプから電話がかかってきた時、彼は「もう音楽家としての将来はない」と諦めきっていたという。
「これでもう終わりだと考え、故郷(のアメリカ)に戻ろうとしていたんです。帰国したら音楽を離れ、法律を学ぼうかと思っていました」。オーディション合格後、すぐにボルレッティ・ブイトーニ財団の援助がつき、エスファハニはオックスフォード大学ニューカレッジのレジデント・アーティストと研究員に選ばれた。その頃までに、音楽を諦めるという考えはほとんど消えかかっていたが、ウィグモア・ホールでのデビューに始まり、アメリカ国会図書館、スネイプ・モルティングス・コンサート・ホール、ヨーク古楽フェスティバル、ルフトハンザ・バロック音楽フェスティバル、イングリッシュ・コンサートとの共演など、リサイタル出演が怒涛のように押し寄せた結果、音楽を諦める可能性は完全に無くなった。
エスファハニは、スビャトスラフ・リヒテル、ルネ・ヤーコブス、レイフ・カークパトリックなど、確固たる信念を持った名演奏家たちの影響を受け、芸術の自立性という信念を抱くようになったという。現在の古楽界に対する不満に話が及ぶと、超絶技巧を駆使したおしゃべりのカデンツァを展開するが、その論旨は明快だ。「現在の古楽界がどうであれ、もっと音楽そのものと真剣に対話する必要があると思います。良い点もたくさんあるのでしょうが、悪影響も非常に多い。特に音楽学生に対する指導は、ほとんど間違っていると思います。ハープシコード奏者は、何年学んでもオーケストラの中で通奏低音を弾くのが関の山、と教えられます。しかも、教師から聞かされるのは、チェンバロの特性と関係の無い話ばかりです。なんと悲惨な教授法でしょうか」。
エスファハニは一息ついてから、将来有望な古楽奏者が直面する根本的な問題について触れた。「アメリカの場合、古楽は非常に狭い世界ですので、頂点に立つ有力人物と面識を持たない限り、それでキャリアは終わりです。ヨーロッパの場合はやや異なりますが、やはり人脈が大きく影響しているではないかと、しばしば感じることがあります。『なぜソリストになったのか?』と訊ねられたら、私は『アンサンブルの通奏低音に呼ばれなかったから』と答えることにしています。古楽を活性化するには、人脈だけが経歴を築き上げる手段ではないことを示す必要があるのです」。
(2013年5月7日アップ)
エスファハニのこれまでの活動と今後の演奏予定は、彼が他人の助力に頼ることなく、イギリスで地道に積み重ねてきた結果の賜物である。ただひとつ残念なのは、これまでのところ、エスファハニの商業録音がひとつしか存在しないという事実だ(訳注:Musica Omniaレーベルの『ジョン・ブル:鍵盤音楽作品集第1集』のこと。このほか、オルガン奏者として参加した『ルネッサンス期ドイツの世俗と宗教音楽』がナクソスレーベルから出ている)。「これまでの私のコンサート活動から考えると、どうして録音の機会が訪れないのか、自分でもわかりません。でも、自分の芸術的目標を追求し続けることが、レコード会社の関心を惹く最善の方法だと思っています。機が熟したら起こるかもしれない将来の録音について、あれこれ期限を決めてみても無駄でしょう」。レコード会社の懐疑的な首脳たちは、これまでのエスファハニの演奏会評をグーグルで検索してみるべきだ。主要紙の絶賛の評や、「ハープシコードはこんなにも表現力があったのか」と開いた口が塞がらないほどの驚きを表した評が見つかるだろう。「3年のうちにプロムスでチェンバロ・リサイタルを実現し、主要紙の評論家たちがチェンバロについて書き始めたのなら、10年ではどうなっているのでしょうね」とエスファハニは語る。
建設的な批評や聴衆の賞賛は、エスファハニにとっても無価値ではない。だが、彼はセンセーションや目新しい衝撃を求めてリサイタルにやってくる人間を警戒している。「他の20代半ばの演奏家と同様、私の演奏は、極端なテンポや強弱を用いることで知られています、 そうする理由のひとつは、ハープシコードの表現の可能性を示したいからです。でも本音を言えば、もっと音楽を繊細に聴いていただきたいし、1500席のホールでそうした演奏を実現できる方法を模索していきたい。現在、古楽の聴衆の多くがセンセーショナリズムを求めて演奏会に来ますが、そこで実際に耳にするのは、楽譜を忠実に演奏しない演奏家たちなのです」。ここでエスファハニは、ヘンデルのオペラ・セリアに関する真面目な議論を「ヘンデルのオペラはセクシーだ」と安っぽく表現した美学者たちを激しく批判する(訳注:《ジューリオ・チェーザレ》に登場するクレオパトラが、イギリスのヘンデル研究家に「不滅のセクシーガールan immortal sex-kitten」と呼ばれていることを指す)。「ヘンデルのオペラであろうと、バッハの鍵盤楽器のための組曲であろうと、演奏家があるがままに真剣に取り組み、演奏していく余地が、現代にもあって然るべきです」。
演奏とは、作曲者と演奏家が音楽を通じて対話する瞑想的な行為だと、エスファハニは続ける。「私は、演奏という行為を、ある種のリスクを伴う実験の場だと思っています。つまり、絶えず表現の可能性を捜し求めていく場所なのです。もちろん、本番前にはそれぞれの曲を周到に準備します。しかしながら、あまりにも細部まで作りこんでしまうと、退屈になるし、不満が残るだけです。新たな試みにチャレンジすればするほど、満足感も大きいと気づきました。40歳になっても、同じ姿勢を保っていたいですね」。
マハン・エスファハニは、ありきたりの演奏に異を唱える若い世代の音楽家の代表格ではないだろうか。「私と同世代の演奏家たちが、聴衆と積極的に関わるため、新たな方法を模索しているのは認めますが、(演奏会開催の)意思決定権を持つ人間がそれをサポートしなければ、やがて問題になるでしょう。現代は、平和な園遊会とは違います。すでに、多くの偏見がはびこっています。プロモーターやレコード会社の人間は、リスナーが同じものしか買わないと決め付けているのです。彼らは、そうした現状が崩れることを恐れています。私が思うに、現状に変化が訪れた時、それがどんなに痛みが伴おうとも、最終的にはよい結果をもたらすのです」。音楽家は、いついかなる場合でも変化を受け入れ、これまで良しとされてきた知識を全面的に見直す必要があると、エスファハニは結論づける。「バッハ、ウィリアム・バード、フレスコバルディ、モンテヴェルディの楽譜を眺めれば眺めるほど、作曲家たちが時代の流行に反応しながら、その流行を超えるような作品を生み出してきた事実を思い知らされます。私だって、何かを変えなくてはいけない時は、不満を口にしますよ。でも、最後は変化に対応し、自分のやるべきことをやるしかないのです」
(2013年5月10日アップ)
完