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エフゲニー・スドビン ピアノ・リサイタル2012 オフィシャル・サイト
21世紀の最も才能あるピアニストの一人、・・・スドビンはすでに巨匠の域に達している
2012年10月16日(火)19時開演 すみだトリフォニーホール
D.スカルラッティ: | ソナタ ト短調
:ソナタ ト長調K.455 |
ハイドン: | ピアノ・ソナタ第47番 ロ短調Hob.XVI:32 |
ドビュッシー: | 喜びの島 |
メトネル: | 悲劇的ソナタ op.39-5 |
スクリャービン: | ピアノ・ソナタ第5番 op.53 |
* 都合により公演内容の一部が変更になる場合がございます。また、未就学児の入場はご遠慮下さい。
あらかじめご了承ください。
エフゲニー・スドビン
■ディスコグラフィー
■スケールの大きな実力派、
多彩なプログラムで魅せるトリフォニーの一夜
1980年生まれだから30歳を過ぎたところだが、エフゲニー・スドビンほどの才能が2005年の最初のCDリリースまでほとんど知られていなかったのは、今振り返ってみても驚きである。サンクトペテルブルク生まれだが、東西冷戦のはざまにもまれた幼少期をすごしたのちも、父親が難病にかかるなど波乱の人生を歩んできた。大型コンクールなどの華やかな舞台とは離れたところで、ひっそりと、しかし不屈の精神をもって自己のスタイルを磨き続けたのである。いまや世界の重要なホールや音楽祭から依頼が引きもきらず、リリースされるCDには絶賛に次ぐ絶賛が寄せられているが、しっかり自分と向き合ってきたピアニストだから、聴くごとに味わいも増していくに違いない。
日本への初来日は昨年1月と少し遅れたが、再来日が早くも実現、認知が急速に広がっている。とにかくテクニックが素晴らしい。端正なたたずまいからは想像できないほど音に重みと弾力があり、サウンドには一点の濁りもなく、どんな状況でも和声の流れが明快で、ぱりっと力強く鳴る。その鋭いセンスを武器にして、バロックからモダンまで幅広いレパートリーをものにしていく。7年間で築かれたディスコグラフィーは多彩で、そのどれもが魅力的だ。歯切れよく晴れやかに音の粒がはじけるスカルラッティやハイドン。ベートーヴェンでは楽譜とストレートに向かい合った剛直な表現が深い印象を残す。ラフマニノフでは情におぼれないスケールの大きな演奏を聴かせてくれるし、スクリャービンでは滝のように雪崩を打って鳴り響く和音の連打が狂おしい陶酔を描き出す。
前回のリサイタルではショスタコーヴィチ、リスト、ラヴェル、ショパンなどが演奏されたが、今回はスカルラッティだけは共通するものの、他は趣向を変え、ハイドン、ドビュッシー、さらにスドビンが近年力を入れている同郷のメトネルを経てスクリャービンと続く。特にスクリャービンのソナタ5番に注目したい。音符が山のように書かれた楽譜を、凄まじいパワーをまき散らしながらハイスピードで駆け抜ける。まだ私たちが経験したことのないようなエネルギーが、すみだトリフォニーホールに充溢することだろう。
江藤光紀(音楽評論家)
■魔法の音
ほんとうに特別なピアニストは、特別な音をもっている。ただひとつの音の響きで、空間や時間の質をたちまち変容させてしまう。精神の佇まいがそのまま音として放たれたような、と言えばいいのか、存在のすべてが一刀の瞬きのうちに研ぎ澄まされた、とでも称えればよいのか--。 エフゲニー・スドビンはおそらく、そうした魔法の音をもつピアニストだ。独特の佇まいをもって舞台に現れ、ピアノに向かって行儀よく向きあい、直角に近く居ずまいを正した姿勢から、鮮やかに垂直性の高い音の運動を導き出す。2011年の初来日リサイタルでは得意のスカルラッティから、ショパン、リスト、ラヴェル、ショスタコーヴィチにいたる多種多様な作品に臨み、一貫して真面目で入念な、技術的にも精神的にも安定した演奏を聴かせた。ピアノを弾く姿にかぎらず、どこか全体が儀式のように思えてくるのは、その演奏が鬼気迫る情感や劇的な昂揚を秘めながら、きわめて明解な視座を崩さないことにもよる。しかしスドビンの畏怖すべき真価が立ち顕れてくるのは、さらなる自由が希求されてこそだろう。 今回もまた、独自に練り上げられた濃密なプログラムが組まれている。冒険的な再会を期待したい。
青澤隆明(音楽評論)
■インタビュー
インターナショナル・ピアノ 2010年3月/4月号
インタビュアー:エドワード・ベサニア
あるロシア人ピアニストの飛翔、大きな期待を
エフゲニー・スドビンは、2005年のスカルラッティのソナタでCDデビュー、大好評を得てから前進あるのみ。その後この5年で5枚のレコーディング。そして、つい先ごろ14枚のレコーディング契約を済ませたところである。エドワード・ベサニアが近況を聞く。
ロンドンの中心部、静かな日曜の午後である。王立音楽院のなかにあるデューク・ホールのステージにピアノが一台。そして照明が煌々とあたるなか、一台のテレビカメラが据え付けてあり、29歳のロシアのピアニスト、エフゲニー・スドビンが座っている。同郷の作曲家ニコライ・メトネルについてのドキュメンタリー番組を制作しているロシアのテレビの取材である。この作曲家をスドビンはこよなく崇拝している。撮影は長引いてしまっていて、クルーはみんなで打合をしている。スドビンに遅れを謝っている。携帯電話をとるとスドビンは、今夜夕食の約束をしていた相手に遅れる旨を伝えている。2005年にスウェーデンのレーベル(BIS)が録音した最初のCDが成功を収めた後、世界各地のコンサートホールから声がかかり、スケジュールに追われる日々でもある。「ピアノ界でいま最も重要なピアニストの1人」「21世紀最高のピアニストになる逸材」などと評されるピアニストへの変貌は一瞬である。レコーディングリストが増えていくにつけ、技術的にも芸術的にも国際的なキャリアを増してきている。
ドキュメンタリー取材がようやく終わり、スドビンと私はやっと話せる状況になった。メトネルは、始めるにあたって最適な話題である。スドビンは、ここ何年もかけて本、LP、演奏会プログラムなどメトネル関連の品々を自分の“宝物タンス”に収集している。そのタンスからその品々を今日は持ってきている。リサイタルでメトネルの14のピアノソナタを演奏したり、ピアノ協奏曲も1番と2番を録音している。
「メトネルはラフマニノフに似ていると、ある人は言うけどそれは間違っている。また、ロシアのブラームス、などと言う人もいるけどそれも違う。似たようなところがあるとしたら、それは偶然のこと。メトネルは自分の音楽を持っている一つの個性です。もしかして将来、ラフマニノフとかブラームスが、なんだかメトネルみたいだと言われるような時がきたらうれしいですね」
スドビンとメトネルの出会いは、ホロヴィッツの録音「おとぎ話のソナタ」である。もう10年以上も前に耳にしたという。「なんてかわいらしい作品だろうと」すぐ好きになりました。ヘイミッシュ・ミルン、ニコレイ・デミジェンコ、そしてボリス・ベレゾフスキーの録音へと話は展開していく。「僕はメトネルのことをまったく知らなかったです。これほど質の高い作曲家だというのに。僕の経験からいうと、知名度の低い作曲家はよく他の作曲家の作品を真似しがちですが、メトネルは全く違います。メトネル独自の音なのです。他の誰でもありません。」スドビンは、確かにこの作曲家は複雑なラインではどの音がどこへいき、どう音楽が展開していくかをすぐには把握しにくい時があるという。メトネルを説明するにあたって、無視されがちなのは技術的にかなり難しいということだと指摘する。「ラフマニノフよりずっと難しいかもしれません。ピアノ協奏曲は息つく暇もないくらいで、そんな感じがずっと続くのです。ラフマニノフだとときに色合いとか超絶技巧のたくさんの音符の陰に隠れることができるのに、メトネルの場合、音符がいっぱいあるだけでなく、どの音もとても重要なので隠れることができないんです。」メトネルのこういった音楽の特色について、スドビンはグラント・ルウェリン指揮ノース・カロライナ響と第2協奏曲を録音しているときに特に感じたという。「フィナーレのコーダ、オーケストラのパートである楽器群が演奏しなければいけないのに弾いていなかったという間違いがおきていて、もう録音セッションが終わり間近だというのに、録り直しがありました。もう2分半しか時間が残されていなくて、エイッとやらなければいけなかったんですね。そのせいで、みんなのボルテージが上がって、うまくいきました。最高でした!」
(2012年8月9日アップ)
スドビンのソロアルバム5枚のうち4枚はロシア作曲家のものである。2枚目はラフマニノフの作品集で、第2ソナタはホロヴィッツ版に基づいている。作曲家オリジナル版と改訂版の双方が含まれる。その後、チャイコフスキーとメトネルそれぞれのピアノ協奏曲第1番(ジョン・ネシュリング指揮サンパウロ響との共演)がリリースされた。それに続き、評判のスクリャービンのリサイタル・ディスクがリリース。最新は、メトネルのピアノ協奏曲第2番、ラフマニノフのピアノ協奏曲第4番のオリジナル版がカップリングされている。2005年スクリャービンのソナタは、リリース直後からとてもいい反応が得られて大成功となる。きらりとした若さにあふれ、様式は洗練され、のびやかな表現は圧倒的だ。若いピアニストは突如ホロヴィッツとプレトニョフと比べられるようになったのだ。スカルラッティの録音時でさえ、24歳のピアニストは演奏会で演奏する能力と、スタジオでの演奏に揺らぎない自信を持っていた。「僕はスタジオでも演奏会の状態以上に完璧なレベルへと自分を高揚できるんです。ですからもし3日間録音したらその期間いつもアドレナリンいっぱいなので、録音が終わったあとは普通に戻るのに1〜2週間は休みます。」
スドビンの携帯電話は、インタビューの間振動している。夕飯の相手が彼を追いかけているようだ。スドビンはあわてることなく、ゆったりと静かにインタビューに応えている。長身は、優雅に椅子におさまっている。茶のおしゃれなスーツを着こなし、話す英語にはちょっとしたロシアアクセントはあるものの、洗練され立派である。そしてスラブ独特の風貌は、ロシア貴族の末裔ではないかと思わせる。スドビンの両親は2人ともピアニストである。1980年サンクトペテルブルク生まれ。1987年に専門音楽院に入学した。「僕はその音楽院で数え切れないくらいのレパートリーを学びました。2,3ヶ月でリサイタル一回分のプログラムが組めるような練習をしました。」音楽的個性が身につくように、幼いころから励まされ勉強。スドビンは9歳で、最初の国際コンクール、チェコスロヴァキアのアウッシク・ピアノコンクールで優勝。2年後、彼の家族はロシアからベルリンへ引っ越す。 母がユダヤ人であること、父が多発性硬化症でありよい治療を受けなければならないことなどが理由であった。観光ビザと家族でたった1つのスーツケースを携えての旅立ちだった。スーツケースはスドビンの楽譜でいっぱいだったという。ベルリンの壁が少し前に落ちたころであり、そのころ「とてもエキサイティングで冒険に満ち溢れていた」とスドビンは回想する。サンクトペテルブルク時代からよく知っていたピアノ教師ガリーナ・イワンゾワと偶然出合ったのだった。高等音楽院で彼女のレッスンを受けることになった。そして、程なく学校から一台のピアノがスドビンに用意された。家族は、そのころまだ住むところがなく、難民用のホステルに暮らしていた。数ヶ月後、スドビンがドイツ国連邦のコンクールに優勝し、評判になると親切なビジネスマンが家族のために家を用意してくれた。スドビンは、1997年までに自らの音楽の展望を開かなければいけないと思っていた。高等音楽院でさまざまな訓練を体験したが、技術的な向上に力を入れていくということではなかった。「練習は、退屈でした。学校では練習ばかり。僕は作品を弾いて、どうやって実際に技術を向上させていくやり方のほうが好きでした。音階やハノンやそれに類似の練習は耐えられませんでした。」
スドビンは、ベルリンを去り、ロンドンへと向かった。そしてまずは、パーセル音楽院でクリストファー・エルトンに師事し、それから王立音楽院で学ぶこととなった。「これはたいへんでした。僕はロンドンで知り合いは一人もいなかったし、英語もしゃべれませんでしたから。また別の意味の冒険でしたね。ロンドンでは、自分の<声>を見いだすことに集中しました。クリストファー・エルトン先生は、私に自由を与えてくれました。決して押し付けることはしないし、僕の考えに耳を傾けてくれて、具体的にしているやり方を手助けしてくれました。自分でできることを見つけて、自分で決断することが突然できるようになったんです。なんだか、急に羽根を生やして、自分自身を前よりもずっと上手に表現できるようになった気分でした。誰か強烈な個性をもった人について勉強することからいっきに自分自身を確立するレベルへと跳躍ことは必要でしょうね。この機会を逃してしまうとちょっとややこしいかもしれません。」 こうして自らの個性を確立していったスドビン、その個性は2005年にリリースしたラフマニノフのリサイタルCDによく現れている。鋼のような強くしなやかな指使い、雷鳴のような和音演奏、それがどれほど強烈だとしても、色感は詳細であり、輝きは深い。「スドビンはホロヴィッツを超えた」とまで評された。そしてピアニストのなかのピアニストであるスティーブン・ハフ(スドビンは短期間彼に学んだ)は、彼の演奏を評して、「大胆かつ刺激的、さらに温かく、どの部分を聴いても生き生きしている。」と。
(2012年9月10日アップ)
続く・・
これまで、スドビンは、主要な3つの音楽都市で先生に学んできた。生徒から駆け出しの演奏家への道筋には厳しいものがあった。さて、次のステップはなんだろうか?ナイジェル・グラント・ロジャーズというマネージャーの目にもとまった。ナイジェルはBISのA&Rディレクターのボブ・サフにスドビンのデモCDを聴かせた。サフは、スドビンがBISの新しいラインナップに並ぶように尽力した。ボスのロベルト・ヴァン・バールに一挙に2枚のCDをリリースできるように説得したのだった。「BISは、レパートリーと決定の自由を僕に与えたくれた。僕が録音したいと言ったことが覆されるようなことは今まで起きていない。BISの人たちは最高のプロデューサー。僕は幸運に恵まれている。」とスドビンは語る。
演奏の傍ら、時には編曲もするし、協奏曲のカデンツァも必要に応じて作曲する。また曲目解説も書く。単に作品の背景を記すだけでなく、自分の感じたことなども書いたりする。例えば、スクリャービンへの深い思い入れを忘我の思いで綴る。「ひとたび噛まれると毒液は、体や心に沁みこんできて、その影響力は絶大で、命を脅かすほどなんです。」と語る。「スクリャービンの毒とはどんなものでしょうか?」との私の問いに、彼は、この作曲家の夢想的で謎めいた特色を教えてくれた。
CD評や演奏会評を読んだだけでは、スドビンの輝かしさ以外はなかなか伝わりにくい。演奏技術は、当然のことながら、デイリー・テレグラフ紙で「楽理の中枢」をとらえていると評されたように、称賛一色である。イヴニング・スタンダード紙は「流れるような音色」と評している。インターナショナル・レコード・レヴュー誌は、「私たちの時代の最も重要なピアニストの1人」と称えている。若くても、またそうでなくても、どんな演奏家でも、そんな栄光を浴したいという誘惑に浸ってもいいはずだ。しかし、スドビンは、いたって冷静だ。「僕は批評を読まないと、決めたのです。いい批評を読んでも、悪い批評を読んでうれしくないのと同じようにうれしくないのです。いい批評ばかりたくさん出てくると、その現象に腹立たしいと思う人がでてきて、悪い批評が出始めるんです。波状的な現象ですね。仲間のピアニストにも、批評家に絶対的に愛された段階を経た人たちがたくさんいます。みんな新人発掘が好きなんですよ。そのうちに少し飽きてきて・・・。驚かし続けないと、2-3時間でダメですね。」これは、スドビンがすでに批評家の反発に対する準備をしているということなのだろうか?「いい批評か悪い批評に関わらず、批評されるような立場になる前からそういう可能性に対して準備していました。僕は、だいたいグラスに半分しか満たしていない性格です。最終的には、いい音楽を作ることといいレコーディングをすることが重要なのだと思います。演奏がうまくいかない夜だってあったとしても、どうしようもない。誰だって人間なんだから。」 6月にリリースの予定のハイドン集のCD編集がほぼ終了を迎えるところだった。さらに、オスモ・ヴァンスカ指揮ミネソタ交響楽団との共演となるベートーヴェンのピアノ協奏曲全集の、最初のリリース盤(この秋リリース予定)の第5番とカップリングされる第4番のピアノ協奏曲の録音を終えたばかりだ。この後は、ショパン、メトネル、プロコフィエフ、ラヴェルの録音が予定されている。BISの初2枚組みCDはこれで5組目になる。そして去年の夏、プロムズにデビューした後にさらに14枚のCDリリース契約をしている。 3月25日、スドビンは、サウスバンクセンターのインターナショナル・ピアニスト・シリーズにデビューする。前半が初のオール・ショパン。自身曰く「誰もがショパンはこう弾かれるべきと強い考えがあるので演奏は難しいけれど。」ショパンに捧げるリサイタルとなる。 スドビンは、形式、構成、素材からいって最も力を要する4番目のバラードをロナルド・スティーヴンソンの「ショパンの断片に基づくフーガ」と組み合わせた。「ショパンといい組合せに違いないと思える作品です。ショパンから現代の潮流へ移動させるようなリサイタルです」。おそらくとても直感的な冒険心から、スドビンはこのようなリサイタルプログラムに到達したのだろう。「よくあることですが、僕がすごく弾きたい曲はだいたい僕にとって最適の作品ではないんですね。」本当は、極端で、怒りをあらわにした、中庸的でない作品のほうが心地よいはずなのに、とても静かで、バルカローレのような作品ばかり選んでしまう傾向があるなど話が続く。ただし、スクリャービンのソナタ5番と9番が自分にぴったりくるのにびっくりしたとのこと。自分の判断ミスをとてもオープンにしかも客観的に話す。彼にとって、何も隠すものはなく、自己判断は音楽の旅に欠かせないという。 この旅は、最近足早になっている。スカルラッティのCDリリースからの激増する注目、要求にどう対応してきているのだろう。「同じレパートリーで演奏し続けてきていたときもありました。疲れきっていて、家に戻ってきてもエネルギーが残っていなくて、新しいレパートリーに取り組めない状態でした。僕はあまり忙しくならないようにしました。演奏会の回数を極端に減らすか、増やすかのどちらかというのが困ったことですが・・・。選んで仕事をするのは大変です。もし、これを断ったら、次にいいホールから呼ばれないかもしれないとか心配がありますよね。でも、もし今僕が演奏しすぎて、2,3年で完全に消耗して、それからちょっと休みの期間をとって・・・と。みんな休みをとっていますよね」スドビンは、自分の言葉の辛らつさにおそらく気づかず笑って言った。
少なくともいまのところは、スドビンの人生はなんとか順風といえそうだ。「たった1人で、ホテルや飛行機に乗ってものすごく長い自分だけの時間を過ごしているけど、それは意味あることだと思っている。」スドビンの芸術的野心は、知覚的、実務的で、哲学的な音楽の世界へと考えが広がっていく。「もし、演奏家が自分で管理ができると考えるのは幻想ですね。なぜって管理はできないんですよ。自分の今を考えてみると10年前はどうだったのだろう。演奏はあまりドラマティックに変化はしていないけれど、僕の演奏に対する認識は変化しました。演奏会を何回やるのか、どこで弾くのか、誰と共演するのか、これからどういう演奏活動が展開していくのかなどなど演奏家には管理できないんです。チャンスはたくさんあり、管理できるなどと思っても、それはおそらく無理。僕は何回演奏会ができるかどうかということは管理できるけれど、僕の演奏家としてのキャリアがどう展開していくかは管理できません。ただただ、録音が滞りなくうまくいって、演奏家ができる限りうまくいくことを注意してやっていきたいです。これがいずれにしろ僕の管理できる唯一のことですからね。」
(2012年9月21日アップ)
完